幕末の激動期、ひとりの青年が日本と世界を結ぶ架け橋となりました。彼の名は中濱萬次郎、後に「ジョン万次郎」として知られる人物です。彼の波乱万丈な人生は、沖縄の大度浜海岸(通称:ジョン万ビーチ)と深い関わりを持っています。
漂流から始まる冒険
1827年、土佐国中ノ浜村(現在の高知県土佐清水市)に生まれた萬次郎は、14歳の時、漁に出た際に遭難し、仲間と共に無人島に漂着しました。彼らはアメリカの捕鯨船に救助され、萬次郎はアメリカ本土へと渡ります。そこで英語や航海術、測量技術などを学び、捕鯨船の航海士として世界中を航海する経験を積みました。
故郷への帰還と沖縄での上陸
約10年の海外生活を経て、萬次郎は故郷日本への帰還を決意します。しかし、当時の日本は鎖国政策をとっており、海外からの帰国は容易ではありませんでした。1851年旧暦1月、萬次郎らは琉球国摩文仁間切小渡海岸、現在の糸満市大度浜海岸に上陸しました。
沖縄での滞在と人々との交流
上陸後、萬次郎は取り調べのため那覇に向かう予定でしたが、当時那覇には外国人が居留していたため、それを避ける形で豊見城間切翁長村(現在の豊見城市翁長)の高安家に留め置かれることとなりました。この高安家での滞在中、萬次郎は集落の人々と積極的に交流し、地域の行事にも参加しました。特に六月ウマチーの綱引きに参加したことや、地元の言葉を理解するまでになったことが伝えられています。
日本の近代化への貢献
その後、萬次郎は薩摩藩に引き渡され、さらに土佐藩へと戻ります。彼の海外での経験と知識は高く評価され、幕府の通訳として日米和親条約の締結に貢献しました。また、勝海舟らと共に咸臨丸で太平洋を横断し、日米修好通商条約の調印にも関与するなど、日本の近代化に多大な影響を与えました。
大度浜海岸の記念碑
萬次郎の上陸を記念して、2018年2月、糸満市の大度浜海岸に「ジョン万次郎上陸之碑」が建立されました。この記念碑は、萬次郎が故郷の土佐清水市を指さす姿を模した銅像で、彼の足跡を後世に伝えています。

ジョン万次郎上陸記念碑
大度浜海岸の自然と歴史
大度浜海岸は、ウミガメやサンゴ、野鳥などの希少な動植物が生息する豊かな自然環境を有しています。また、シュノーケリングやサーフィンのスポットとしても知られ、多くの人々が訪れます。さらに、日本で唯一の戦跡国定公園としても指定されており、歴史的な価値も高い場所です。
まとめ
ジョン万次郎の物語は、困難を乗り越え、異文化を学び、それを故郷に持ち帰るという冒険と挑戦の連続でした。彼の足跡が残る大度浜海岸は、そんな彼の精神を今に伝える場所として、多くの人々に感銘を与え続けています。